伝説の島“津久根島”
舞台は、瀬戸内海に浮かぶ「津久根島」。
560年以上の時を超えて伝わる「あまのじゃく伝説」。

現在の津久根島(西広島タイムスより)
天冨良「津久根島」の主人、湯蓋好志の先祖に湯蓋道空(ゆぶた・どうくう)、湯蓋道裕(ゆぶた・どうゆう)という親子がいました。そして、そこにはある伝説がありました。
広島の市街地から西へ約10km、広島市佐伯区五日市の沖合約4kmの海上に、周囲約130m、高さ約24m、まるでお椀を伏せたような形の無人島が浮かんでいます。それが、伝説の舞台となる「津久根島」です。
湯蓋道空は、壇ノ浦で敗れた平知盛の子孫といわれ、五日市海老山(かいろうやま)に住んでいました。貧しい漁師でしたが、豊漁で財を成すと、厳島神社に客人社を建てたり、五日市に塩田を開くなどして人々から尊敬されていました。
ところが不安なことがひとつありました。湯蓋道空・道昌夫婦には、道裕という息子がいたのですが、その息子こそが唯一の不安でした。「おとなしくしろ」と言えば大暴れし、「海で魚を獲れ」と言えば「山で鳥を撃つ」といった具合で、父親の言ったことは何でも反対しなければ気が済まない変わり者だったのです。
道裕の性格を考えて、道空は亡くなる前、「わしが死んだら、あの津久根島に葬ってくれ」と言い残しました。道裕は「今までわしは親に逆らってばかりいた。せめて遺言の言いつけだけには従おう」と考えて、道空の墓を津久根島に建ててしまいました。
道空の本心は違っていました。自分の墓は海老山に建ててほしかったのです。いつまでも村人の近くにいて瀬戸の海を眺めていたかったのです。言いつけを守ったことは一度もなく何でも反対のことをするので、海の小島に墓を建ててくれと言えば、きっと海ではなく海老山に建ててくれるに違いないと。結局、道裕は最後まで親の気持ちに逆らい続けたことになってしまいました。
その後、ある嵐の日、道裕は村人の制止を振り切って島に渡り、嵐から父道空の墓を守り抜いたのですが、そのまま帰らぬ人となってしまいました。
これが、560年以上の時を超えて広島に伝わる「あまのじゃく伝説」です。
「あまのじゃく(あまんじゃく)」
人の言うことやすることにわざと逆らうひねくれ者のことを、こう呼びます。
